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THOUGHTS

問いの前に、
人をみる

ここは、サービスの説明から少し離れた場所です。Humanomy の手法の奥には、わたし自身の、人と人生に対する見方があります。仕事の話というより、なぜ人を見ようとするのか、という話を、ここでは隠さずに書いておきます。少し長くなりますが、関心のある方だけ、どうぞ。

01 / TIME

唯一、
有限なのは時間である。

人の可能性は、ほとんど無限に見えます。何にでもなれる、どこへでも行ける、やり直しもきく。その感覚は、決して間違いではありません。人は、自分が思うよりずっと多くのものになれます。

ただ、一つだけ、確かに限られているものがあります。時間です。

どれだけ可能性が広くても、人がそれを試せる時間には終わりがあります。すべての道を歩くことはできない。すべての才能を、同じ深さで育てることもできない。わたしたちは無意識に、自分は明日も生きている、八十まで生きると思っています。けれど、命がこの先も連続している保証は、どこにもありません。

命が連続していると、
いったい誰が決めたのか。

これは、暗い問いではありません。むしろ前提の問いです。終わりがあると本当にわかったとき、はじめて、今日という時間の重みが立ち上がる。死生観とは、死を思うことそのものではなく、自分の時間に「範囲」を与えることだと、わたしは考えています。

範囲が決まると、選択の意味が変わります。同じ目的地に着くにしても、遠回りには、その分だけの時間がかかる。東口から行っても西口から行っても、駅には着く。けれど片方が三年遠回りなら、その三年は確かに消費されます。その遠回りを「良い経験だった」と思えるなら、それでいい。けれど、選べるのなら、納得して使いたい。

わたしが人を見ようとするのは、つまるところ、この一点に尽きます。限られた時間を、できるだけ納得して使い切るために。

命の有限性・物語表現・人の人生を残すこと ― 有限な命をどう扱い、どう次の世代へ渡すか
命は有限だからこそ、人の人生には重みがある。

02 / EXPECTED VALUE

可能性を最大化するとは、
期待値を最大化すること。

「可能性を最大化する」という言葉を、わたしは、選択肢を増やすという意味では使っていません。それは、限られた人生を、最もよく味わい尽くして終えるための、期待値を最大化することです。

人生を、サイコロにたとえてみます。振れる回数は、決まっています。だとしたら、自分にとって良い目が出やすい振り方を選んだほうがいい。そのためには、「何をするか」と同じくらい、「何をしないか」を決めることが大事になります。自分にとって、どういう条件のときに良い目が出やすいのか。それを知るために、素質やタイミングという考え方を使っています。

だから、わたしにとってのゴールは、キャリアではありません。生き方そのものです。仕事もお金も大切ですが、それ自体が目的ではない。「能力がこれだから、これで幸せになるしかない」という諦めには、ずっと違和感がありました。キャリアは、生き方の一部にすぎません。問うべきはいつも、その手前にある「そもそも、何のために生きるのか」のほうです。

03 / DISPOSITION

素質は「縛り」ではなく、
「配分」である。

素質という言葉は、誤解されやすいものです。「あなたはこういう人だから、これしかできない」。そう聞こえると、素質は人を狭める檻になります。可能性が無限だとするなら、素質などというフレームは、むしろその無限を狭めるものではないか ── そういう問いも、もっともです。

わたしは、逆だと考えています。素質とは、可能性を狭めるための線ではありません。有限な時間の中で、その人が自然に力を発揮しやすい場所を見つけるための、地図のようなものです。

努力しても消耗するばかりの場所がある。同じ力でも、少ない負荷で成果につながる場所がある。素質を見るとは、人を分類することではなく、その配分を見立てることです。制限ではなく、配分。ここを取り違えると、素質はただのレッテルになります。

向いている職業を当てる、という話でもありません。どこに身を置き、誰と関わり、何を引き受け、何を手放すか。いつ動き、いつ整えるか。その判断の材料になる。それが、素質を見ることの意味だと思っています。

04 / STRUCTURE

構造を見るとは、
欲求の背後を解くこと。

「今、これがしたい」「自分はこういう人間だ」。そうした思いは、大切です。けれど、その思いをそのまま正解にしてしまうのは、少し早いと思っています。

直感も、欲求も、天から降ってくるものではありません。それは、過去の膨大な経験が圧縮され、高速で出てきた判断です。だからこそ、その背後には、たいてい理由があります。過去の出来事、周囲からの影響、本当はこうしたかったのに別を選んできたこと、いつのまにか身についた歪みや思い込み。今の願いも、そうしたものの上に立っています。

だから、わたしは背後を見にいきます。なぜ、今それを望むのか。どんな経験が、その発想を生んだのか。それで何につながると思っているのか。本当に向いているのか、ただ憧れているだけなのか。そこまで見ると、その人が今いる「構造」が、少しずつ見えてきます。

ここでいう構造とは、素質・状態・経験・解釈・関係性・環境が重なって、その人のものの見え方や選択を形づくっている「配置」のことです。その配置が見えてはじめて、自然な動き方、力が出る役割、無理のない立ち位置、適した行動の頻度が見えてくる。

構造を見るとは、人を一つの言葉で決めつけないことです。「あの人はこういう人だ」「自分はこうだから仕方ない」と閉じてしまう前に、もう少しだけ見る。そこからしか見えないものがあります。

05 / FACT & INTERPRETATION

人は、事実より
解釈に苦しむ。

人は、事実そのものを生きているというより、事実に与えた解釈の中で生きています。

たとえば「指摘された」。起きた事実は、それだけかもしれません。けれど本人の中では、すぐに意味が立ち上がる。否定された、見下された、自分はダメだと思われた、ここに居場所がない。── もちろん、本当にそういう文脈だったこともあります。けれど、それを確かめないまま意味づけだけが先に走ると、人はその解釈の中で傷つきはじめます。

解釈そのものは、悪ではありません。人は解釈があるから、出来事に意味を持てる。記憶になり、物語になり、自分らしさにもなる。問題は、その解釈を、事実そのものだと信じ込んでしまうことです。一度信じ込むと、人はそれに合う材料ばかりを集めはじめ、やがて解釈は「現実」のような顔をしはじめます。

厄介なのは、他人の解釈より、自分の解釈のほうが疑いにくいことです。「自分は向いていない」「自分は人前に出るタイプではない」── こうした言葉は自己理解に見えて、過去のある場面で生まれた固定解釈が紛れ込んでいることがあります。

事実と解釈を分けることは、冷たさではありません。むしろ、その人の可能性を雑に閉じないための、丁寧さです。

06 / OPENNESS

素直さとは、
比較が消えている状態。

素直とは、人の言うことに従うことではありません。わたしは、素直さを逆側から定義しています。「素直である」を直接つかむのは難しい。だから、「素直でない状態」を考えて、その対偶として素直をとらえます。

素直でない状態とは、相手の言葉を受け取る前に、比較やプライドが先に立っている状態です。プライドとは、比較や勝ち負けから生まれるものです。「負けたくない」「下に見られたくない」「自分のほうがわかっているはずだ」── そうした感覚があると、人は、目の前の言葉の中身ではなく、勝ち負けのほうを見てしまいます。

人が素直に聞けるのは、
相手に圧倒的に敗北しているときか、
そもそも勝ち負けが成立しないとき。
どちらも、比較が消えている。

逆に言えば、比較さえ消えていれば、人は素直に受け取れます。鵜呑みにするのではなく、一度ちゃんと受け取って、その上で考える。それは、自分を失うことではなく、自分を更新できる状態です。

時間が限られているからこそ、これは大きい。すべてを自分の失敗だけで学んでいては、時間が足りません。他者の経験を、自分の学びに変えられるかどうか。素直さは、その入口にあります。

素直さ・数学的思考・死生観 ― 人という方程式を、どう読むか
素直さの対偶定義から、人を関数として読むこと、死生観までを一望する。

07 / THE EQUATION

人を、
関数として解く。

正直に言えば、わたしは世界をかなり数学的に見ているのだと思います。先ほどの素直さの定義も同じで、つかみにくいものは、正面からではなく、対偶から ── 「そうでない状態」から逆算して定義する。確率の問題で、起こる場合をすべて数えるより、起こらない場合を引いたほうが速いのと同じ発想です。

人についても、わたしは一種の関数として見ています。そこには変数と定数がある。変数は、これから動かせるもの ── 行動、環境、人間関係、学び、選択、考え方。定数は、簡単には動かせないもの ── 過去、生まれ持った性質、すでに起きた出来事、肉体的な条件、そして残された時間。

ここで大事なのは、ある変数を無限に大きくしても、関数の中に大きなマイナスの定数 ── 過去の負債が残っていれば、全体は最大化されない、ということです。未来の可能性に手を伸ばす前に、まず過去の負債を整理したほうがいい場合がある。

占いをしているのではない。
人という方程式を解いている。

四柱推命や陰陽五行、姓名判断、筆跡、数といったものは、わたしにとって神秘ではなく、複雑な人間という方程式を解くための補助線にすぎません。たまたま、計算しやすい道具だっただけです。見ているのは、運勢ではありません。その人がどの条件を持ち、どの変数を動かせて、どの定数が重く残り、どの時期に動くべきで、どの関係で力が出て、どの選択で最大値を取りやすいか ── それだけです。

ただし、人は数式のように完全には定義しきれません。だからこそ、定義できる部分を構造化する「科学」と、定義しきれなさをそのまま扱う「アート」の、両方が要る。アートは、人をわかりきるためではなく、人はわかりきれないという前提を受け入れたうえで、そのわからなさに近づくための切り口です。

定義しないことで、定義に近づく ― 科学とアートで人を捉える
人を数学に閉じ込めることはできない。だが、定義できないものに向き合い続けることで、構造に近づく。

08 / TRANSLATION

言葉になる前の理解を、
翻訳する。

人は、言葉になる前に「わかった」と感じることがあります。その理解は、通常の論理や会話では、うまく扱いきれません。けれど、確かにある。

わたしの感覚では、理解はしばしば、圧縮されたファイルのように届きます。最初から言葉の形で来るのではなく、まず「わかった」という感覚の塊として来て、あとから三次元の言葉や概念や比喩へと、少しずつ解凍されていく。関係のあるものだけが、後から光って見えてくる。

だから、同じ言葉を使っていても、人によって見ている深さは違います。「構造」という一語をとっても、仕組みとして理解している人、関係や配置として理解している人、時間や変化や役割まで含めて理解している人がいる。会話で本当に必要なのは、言葉をそろえること以上に、理解の階層をそろえることです。

人もまた、平面ではなく立体です。いくつかの数値を並べたレーダーチャートでは、捉えきれない。軸どうしは連動し、文脈や状態や変化が、奥行きとして重なっている。

構造を見るとは、つまるところ、言葉になる前の理解を受け取り、それを世界で使える言葉へと翻訳することです。直感でも、論理でもない。感覚として受け取ったものを、構造として解凍し、人間理解へ落としていく営みです。

五次元的会話・潜在意識・数学的思考 ― 言葉になる前の理解は、どう三次元に降りてくるのか
「わかった感覚」を、世界で使える言葉に変えていく。その営みが、構造を見るということ。

09 / CONFESSION

わたし自身が、
見誤ってきた。

こうしたことを、わたしは見えている人間として書いているのではありません。むしろ、見誤ってきた人間として書いています。

二十歳の頃、ある研修で、自分の弱さと向き合わされたことがありました。頭で考え、正しさを求め、強くあろうとしている自分が、実はとても弱いと知った。最後にワークシートに書いたのは、一言だけでした。弱さは強さ。弱さを認めることは、諦めることではなく、自分の現在地を事実として知ることだったのだと、後になってわかりました。

それでもなお、起業したあとのわたしは、幹部や仲間に向かって、何年も問い続けました。「弱さは何か」「どうなりたいのか」「何を感じているのか」。答えられず黙る相手に、「感じろ」と迫った。今振り返れば、あれは暴力だったと思います。相手の素質も、経験も、フェイズも、事実も見ずに、自分の問いを正しいものとして押しつけていた。自分が向き合えた問いなら、相手も向き合えるはずだ、と思い込んでいたのです。

構造を見ずに投げられた問いは、人を開くどころか、追い詰めることがあります。問いは強い。だからこそ、急がない。問いは人を開く。だからこそ、まず構造を見る。── この順番を、わたしは痛みとともに学びました。

人を導こうとする立場ほど、まず自分の前提を疑わなければならない。構造を扱うとは、特別な技術を持つことではなく、自分の見方の不完全さを認めることから始まるのだと思います。

10 / CLOSING

人は、簡単にはわかりません。それは諦めの言葉ではなく、人を本当に見ようとするときの、最初の前提です。わからないから見ない、のではなく、わからないからこそ、見続ける

素質は、人を縛る線ではない。有限な時間の中で、その人の力が自然に出る配置を見つけるための補助線です。素直さは、その補助線と、他者の経験を、プライドや比較で歪めずに受け取れる状態のことです。人は定義しきれない。それでも、見ようとし続けることはできる。

問いを投げる前に。
決めつける前に。
励ます前に。
まず、人をみる。

わたしがずっと立っているのは、その手前の場所です。

PUBLICATION

構造をみる

この見方をより深く、物語と実例とともに言葉にしたものが、著書『構造をみる』です。よろしければ、そちらもどうぞ。

→ 著書『構造をみる』について